2009年9月24日木曜日

メモー祭りの後の気分

詩的。
詩を読まないから一般的な視点ではその言葉に合わないと思う。
外国の映画みたいに美しい詩を、蜜が溢れ出すように饒舌に、オンタイムで、
そんな思考は僕にはない。培ってきていない。

なんとなく、書き出しの瞬間ふとよぎった言葉が『詩的』。
きっと叙情的であったり、情熱的であったり、エキセントリックであったりするのだろうな、という曖昧な解釈でいるその語呂を使わせていただく。

だいだい物事を客観的に観察し、描写するには限界があるとハナからあきらめ続けたこのアタマとカラダが今更なにを思ってか文章を残そうなどと考え及んでいるのだからそういった風の常識は置いてけぼりにするほうがややこくない。

そうそう、詩的。そんなシーンがたまにある。
そんな風に鑑みるときの僕は大抵、自殺について考え始める。自殺。実際の行為に走ることはなく、ぐるぐると猫を猫かわいがりするときのように毛並みに沿ってアタマの中をなで回す。そしてグルテンが固まって『ぽて.』と黄土色の生地が右耳のちょっと上くらいから落ちてくる。そしてソレをコンバースで踏みつぶして終わり。
浅い推測とココロに浸透していく納得。安堵の瞬間。生への執着を宣言する。

『自殺』もまた『詩的』と同様、ボクの曖昧な解釈の産物。きっとそんなもんなんだろ、ぐっと心をつかまれたりする印象的な言葉なんてものは。

砂糖。これは甘い。絶対。口を不自由なく使うことができ満足な味覚さえあればこれは疑いの余地がない。なんかの本で読んだのだが先天的な疾患のため生まれてからずっと栄養を点滴で接種しており、唯一口にすることのできるモノは薬だけの人はそのニガイ味のする粉薬を『おいしい』と表現したそうだ。
なんだか昔、"味覚は生後3歳までに完成される"と聴いたことがあるが、そのひとはどのような感覚で美味と表現したのだろう。
その作用についても確か本に書いてあったと思うが、正確に説明できる自信がないのでやめようと思う。

未知、未経験の感覚というのは基準というものを自分の中で相対的に確立できないので実にミステリアス。絆されてしまう。

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