2010年10月29日金曜日

屋号のこと

最近は自立、もとい独立のために諸々試行錯誤中で「なにから始めたらいいのか知らん」とモウモウしておりまして。

「まずはカッコからじゃ。」
と、名刺や店舗もないのに看板やらコンセプトやらをメモ用紙やらレシート裏やらかまわず書き出してみては「ちゃうちゃう。」とワンワン吠えている毎日です。

で、まだ公表はしないのですが私の屋号は音に関係した言葉で出来ていまして、その名刺やらWebサイトやらに必要な”ロゴ”をね、創作中なんです。



まぁ、"鐘(かね)"をキーにしようと思っているんですが、所以とか製法とかまで遡って私の屋号とリンケージ貼りたいと思って調べるわけです。鐘といってもいろいろある訳で、メガホン型・ハンドベル型・釣り鐘型と形状はもちろん素材だって、結果用途も様々です。

私はマリー・シェーファーさんの著書が大変お気に入りで、「世界の調律」という本の"中世都市の成り立ち"という箇所(たしか)で街の中心にある教会の鐘の響きとランドスケープとの関係性について述べられていて非常に興味深く、想像するに心地よい風景が広がりまくるので、私の屋号には是非そんな雰囲気の鐘型モチーフを配したいと思っているわけです。

昔も今も西も東も未だにおおきな鐘は”鋳型”を使用して作られる、いわゆる”鋳物”だそうで。
この製法はすっごく昔から人類が金属の使用を始めたころからあったという、なんとも大っきく出たものですが。
そして話は若干ドラフト気味で、ウィキペディアでは”日本の鋳物”という節でこうかかれていました。

『日本では鋳物師(いもじ)という称号があり、朝廷から認可を受けた。現代に残る鋳物師としては、鎌倉時代に創業した茨城県桜川市の小田部鋳造株式会社、戦国時代に岐阜城下で創業した株式会社ナベヤが有名。特に梵鐘メーカーである小田部鋳造は、全国の14の鋳物師のうち唯一、天皇家から菊の紋の使用を許されて、現在に至っている。』

…新潟の我が家は城下町のはずれにある古くからの集落にあるのですが、ウチにも昔から屋号がついてまして(ナカムラヤ!的なね)。
それは、『いもじ』なんです。

そういうこと?我が家のルーツは鋳物師ということなのか!?
マエストロ・イトーは何を作っていたのか?

非常に気になります。今度実家に帰ったら聞いてみるなり。

と、不思議なつながりを感じたのでした。

オチなし。

※写真は道成寺の絵巻より拝借。

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