ラベル 日記 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 日記 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年9月26日日曜日

アイスランドのシーン

ちわ。

Ustreamで面白い配信があったので共有を。

『アイスランドの音楽シーンって?』


うーん、興味深い。

アイスランドのアーティストといったら...
シュガーキューブス(The Sugarcubes)、ビョーク(Björk)、シガーロス(Sigur Rós)、ムーム(mum)...
こんな感じをイメージするな。

この配信でも主に僕がさっきあげたようなアーティストについて紹介されている。
あとはアイスランドで行われるフェスについてなどなど。
アイスランドで僕が知っている最近のトピックスといえば、オノ・ヨーコさんの「イマジン・ピース・ タワー」。
といってもちょと前だけどね。

それでも近頃まで
友人と話をしていてアイスランドにおけるAIR(Artist In Residence)やら、スパがどうやら、人口が30万人くらいらしいとか、その人口のほとんどは首都のレイキャビクに住んでいるとか、注目すべき噂や情報が僕の周りを飛び回っていた。

音楽シーンではいわゆる「オルタナ(オルタナティブ)」と言われているカテゴリに分類されるようなアーティストが多いらしい。
オルタナという言葉は多分、90年代頃から使われているのを僕は記憶しているのだけれど、ようは他のカテゴリから外れたなんでもありのおもちゃ箱みたいな気がする。

『ノンジャンル≒オルタナ』 みたいな印象ですが...どうかな?

うんうん、で、まぁ、アイスランドが面白いわけ。
とりわけこの国のスモールコミュニティな雰囲気が僕のアンテナに引っかかっていて。

火星からの通信や無人島からの救難信号のような感じで日本の僕らに届けられる音楽って、なんだかとっても近未来で予言的で魅力的なのでした。











2010年9月10日金曜日

チェットベイカーな日々

ちゅうがっこの頃に吹奏楽部に入ったんだけど、

その時分、僕はビートルズのギターに夢中で、
 ひたすら音楽が大好きになって、
 何でも良いから
 音楽に関する環境であればどこでも、どこまでも
 
そんな感じで「すいそうがくぶ」が練習している昼休みの音楽室に現れたんだな、たしか。

小さなちゅうがっこのすいそうがくぶは
なんの栄光もなく、なさけなく、
ただやることは、クソ野球部の応援と毎週月曜の全校集会でのケンタッキー(フライドチキン)マーチ。

なんの楽器がやりたいとか、なんの曲をみんなで演奏したいだとか、ナンセンスで、
僕はたまたま空いていたトランペットの2ndパートのポジションを与えられて
「ぷぃ」とお昼休みの40分を過ごしていたな、たしか。

ペこべこに凹んで、バルブもアンスムーズこの上ないし、上手い人なんかだれもいないし、練習曲もなく
ひたすらケンタッキー。

田舎にはケンタッキーチキンなんてないもんだから、
なんの香りもコールスローもない「あ、CMのね。」ってほどの馴染みのフレーズをひたすら繰り返していたな。
吹奏楽の2ndトランペットにキャッチーなフレーズなんて割り振られることもなく裏方で音もまともに出ないもんだから、「ふぃ」とさりげに管から息を通すだけの日々に辟易。エスケープ。


そんなトランペットの原体験は僕になんの爪痕をも残さず
大人になった僕は新宿ゴールデン街でチェットベイカーの「time after time」を聴いていた。
まさにそういうことであるよ。

それから数年後、
僕はひょんなことから「Couesnon」というおふらんすの工房のトランペットを手に入れてしまう。
ケニードーハムも一時期つかっていたんだとか聞いてぷるぷると感激してしまい、コイツにぞっこんである。
なにはなくともそいつのはいった古いハードケースを抱えて僕は街へと下る。

今の僕の頭には「ぷぃ」「ふぃ」なんて音はなっていなくて、チェットの歌うような可憐なメロディがつぶやいているから、
きっと大丈夫なんだと思う。

こいつにI've Never Been In Love Beforeなものを感じて、ことさらそれは音楽に対する感情なんだと知ったな。

で、自作でプラクティスミュートを霧吹きを使ってくっつけて練習の毎日なのさ。
嬉し恥ずかし。


 

2010年9月9日木曜日

今月の.track

新しいトラックができました。

タイトルは『mml.track2.branch』
なんだか不思議な曲名ですよね。記号なのか、商品コードなのか....

mml.track2.branch by Atsushi Ito

まずは、
「mml」について。
これは、前回の7/18のイベント名にもなった「Movements Make Lives」の略称。
この言葉の意味する内容については別の記事で触れていこうと思いますので、ひとまずは"そうなんだ!"と目をカッと見開いて納得してください。

「.track2」について。
音楽好きの方はよくご存知だと思いますが、「二曲目」という意味です。頭に「mml」と今後付けていく曲は連作なんです。

「branch」について
英語で「枝、支流」とかいった意味なんです。つまり木の幹でもなく本流じゃないと。


つまり、この意図するところは、
『mmlって連作で作っていく曲集の2曲目なんだけど、どっちかって言うとREMIXのような感じ。』
というもの。

今回の、『mml.track2.branch』は、こんなチーム編成。

・direction by didimo+AtsushiIto
・programming by AtsushiIto
・Voice & Guitar by didimo

シンガーソングライターのdidimoと組んだ意欲作でして。
約7分間の長尺の曲ですが、目くるめく万華鏡のようで、さわやかな爽快感が残る魅力的なトラックに仕上がりました。
お試しあれ。

2009年11月20日金曜日

マミー

Devoのカバー。



先月のハロウィンにこっそり来日していた。


あー、我が青春遠のけり。

ところで、
最近の東京の若者達はどこに居るのだろうか?
中目黒にはメッキリ少なくなったような印象だが、アキバ?とか。
それとも、そんな輩は海外に高飛びしてしまっているのかねぇ。

2009年10月26日月曜日

ハナモゲリストになるために


『定本ハナモゲラの研究』がようやく届きました。プレミアがついていて6,500円もした!('79年当時は880円)

ハナモゲラとは何ぞ?
....というのは興味のある方調べてみてください。

過去の映像をイロイロみていたのですが、この言葉が拘束しうる範囲が実に広く感じてならなくてこの『定本ハナモゲラの研究』を手に取った訳です。

よし、勉強だ。

※以下、参考までに。





2009年10月20日火曜日

もーれつア太郎


ここ数ヶ月、ピアノを猛烈に練習している。

使っているテキストは『バイエル』と『ジャズ・ハノン』。
『バイエル』はピアノをやったことある方々にはおなじみの教則本。YAMAHAやKAWAIのピアノ教室にはいったらやるやつ。僕も小学校6年生の1年間、近所のピアノ教室に通って練習した。

『ジャズ・ハノン』、これは本家『ハノン』の亜種でその名の示すとおりジャズピアノの練習曲集。表紙が和田誠さんのイラストレーションみたいで思わず『ジャズ批評』とリンクしてしまう。

ハノンの練習曲としてのやくどころは「指の基礎訓練」、「ウォーミングアップ」にあるらしく、両腕のすべての指をフルに活用した練習曲が多いなぁという印象。掲載されている譜面は基本的にハ長調で描かれているのだけれど、ミソは自分で移調してすべてのキーで練習すること。

僕の使用しているジャズ・ハノンの特徴は、オタマジャクシの表記に加えてローマ数字の度数とアルファベットのコード表記が記載されている。さずが「ジャズ」とうたっているだけあるね。

ひたすらグルグルとセブンスコードを弾きながら鍵盤上を滑らかに小気味よく指を駆け巡らせていると、なんだかおネエちゃんのオッパイか猫の喉元をモミモミしているような妙な気分になる。みゃーお。

なんというか、目が虚ろになってきて...夢見心地。

こういう反復ものってやっぱり中毒になっちゃうからイカンなぁとも思いつつも練習すればするほど広がっていく安心感と幸福感にジワーっとこう、きてしまうのだよ。

2009年10月8日木曜日

都立大、夜。

台風が関東に迫ってきていて雨脚が強くなり、
いつもは自転車で15分程度にある都立大のスタジオまで
最寄りの駅から各駅停車で駆けつける。

予定より早く着いたのでカフェエで一服しようと思い店内にはいると、
シンバル、スネアドラム、古いキャンバス地のハードケースを持った黒ブチメガネの青年が会計を済ますところであった。

確信が持てなかったが、友人であろうと声をかける。
『Tさん?』『あ、伊藤サン。』

僕が確信を持てなかったのはしょうがない話、数週間前に別のカフェエで初めてKに紹介されたきりであったから。
お互いにKを通じて話を聞いていたし、高校時代からの同級生Nもなんの縁か知らんが面識があったので、僕らは知人を通り越し友人になった。

僕はサキソフォンを持って本日の練習に気楽な気分で参加する予定だったが、彼のそのモノモノしい立ち姿(だって、すごい機材の量だったんだもん)を観て、またしても自分の覚悟の足りなさにうなだれてしまったよ。

僕とTさんは二人でカフェエの二階の喫煙ブースの席に落ち着き、もう一人の友人Kを待ちながら会話を楽しんだ。

わずか15分くらいの間であったが、二人で音楽について様々なことを話した。
プレイスタイルに関する自己分析、影響を受けた奏者、今後の方向性について。


初めてのセッション、この人と新しいディレクションへ進めるような希望が持てた。久しぶりにコミュニケーションができた感じがした。僕のサクソフォンは言葉少なで不器用なので結局、スタジオにあったピアノをメインにした。

Tさんはドラムとアルトクラリネット、Kはソプラノクラリネットとプリペアード。

ドラムは雄弁にかつ繊細に僕らの心を読み取り大地を歩き、僕は不器用にディスコードを刻み地図を描き、ソプラノクラリネットはいつも通り雲雀のように空高く舞った。

その後、駅前のマックで三人で談笑。またスタジオに入ることを約束した。

2008年12月25日木曜日

日記 - うらなり

ここのところよく金縛りにあうことがおおい。
「身体と精神が疲労などの要因によって乖離してしまった状態」
一般的にそういうことになっている。
元来、何事も楽観的に物事を捉える自分であるので、それほど”疲れている”などと
思い悩むこともないので最近のこの状態には合点がいかない。
図らずも、’心霊的な現象ではないか’と内心ウキウキしながら妄想にひたってもみるくらいだ。
それくらいのことがあってもいいじゃないかと、襟をたてて斜め45度上を向いて気をつけをして心のなかで
断固主張してもよい。

何も悩みのない透き通った俺がいる。

そして、なんの気ない思案をくりかえす。
なんでもないことが.....ほんとになんでもないのだと納得させる。

一日の終わりと始まりに。

もう少々若い頃は、そこそこに周りに友人知人がいて、
そこそこに俺のねっとりとした憂鬱を共有してくれたりしたものだが
そんな奴らは今ではそれぞれのやんごとなき理由を常に抱え、
それぞれに’自分の進む路’というものを発見してしまったようで俺たちのいた場所などは振り向かずに
邁進しているようだ。’俺からみたら、彷徨っているようにしか思えん’などと口が裂けても言えないし、
言う気もない。みんな良くやっているのだから、きっと。

そういったわけで、最近だれもそんな俺のムードに付き合ってくれる人間がいないので寂しい。
大抵、人恋しくなるときなんてそんなときだろう?


こんな状態のおれに対してあいつはきっと言うだろう。

日記 - ご当地

柿の種くさい。
ここは、新幹線の中。
僕は恒例の検査を終えて再び東京へ戻っているところ。
このおかきが新潟県の特産だという実感はいまだにないし、おそらく他県出身者でも『柿の種 = 新潟県』という回答に異議を申し立てるかたも多いだろうと思う。
地方には地方にしか流れていないCMってものがあるわけで、その地方にしかない流行っていうのがあるもので、今風にいうと『ご当地もの』ってやつにあたると思う。
 脱線する。『ご当地』って、今風っていったが僕は口に出したくない日本語の上位にぜったい居座ってると思う。まぁ単純に言ってダサイし、ある意味クサい。よさこい、ソーラン、アーメン、ラーメン、ギョーザ、etc......1なんでもござれのご当地名産はなんの所以もひったくれもありゃしない。根なし糞なし甲斐性なしである。
 お国かお肉かしらないが、なんでもかんでも背負って背負われてヨイショかヨッコイショかされてTVロケハンでにわかに盛り上がって、町内挙げての”ギネスに挑戦!世界最大のコロッケ”なんてのをでっちあげて、インスタントな感動物語を首都圏ローカルゴールデンタイムで放送されて小躍り気味に、当のギネスの町では一ヶ月遅れの深夜枠ってのは、いと悲しい歴史を刻む。まさに現代の浮世絵ここにありといった感がございます。
 結局、『ご当地』なんていう検索ワードは外向けであってなんてことはない、当地の人々がなんや気に留める必要などない。
 で、本編。ペンペン。
 となりでさっきから、小分けにパッケージングされた例の『柿の種』をザラザラと口の中に流し込んでは『ガリバリミュシャムシャ...ヘッヘッ』と食い続ける中年男子が、ワンセグチューナ付きの携帯電話をつけながら、『花より男子』をながらよみしている。
こいつ絶対気が違っている。気違いだ。
こいつはとうとう新幹線に持ちこんだ自らの、自分自身である柿の種をすべてほうばり尽くして口寂しいのか、空をがめてはモグモグと口を動かしている。この中年男子は先月発売したipod nanoを今度は取り出し、ワンセグ携帯をつけた状態でながら聴きしている。
 また長良だ。またしても。
 しかも新作のipod nanoにアクオスケータイに男子ときたもんだよ。

長良川には鵜てんで、とっていいのは鮎で、ブラックバスが最近増えすぎてこまっちゃてるらしい。ご当地も大変ですね。

日記 - フリスク

フリスク:シャープンズユーアップな一品

フリスクの一粒は人にあげると喜ばれる。
てのひらサイズの潔癖で欧米指向な白いケースをスライドさせて相手の手のひらに
コロンコロンと二粒ほど差し上げてみよう。

一振りで、一粒しか出なかったら、”それじゃまぁ寂しいですから....”と、もう一振り。

勢いあまって一度に三粒以上出てしまったら、いそいそと申し訳なさそうに ”そそういたしまして...”と、余計な分をケースに戻す。

二粒がちょうどよい距離を保つ秘訣なのである。

しかしながら、二粒が丁度よいからと、毎度毎度に、
「コロンコロン....」
「...ツツツッ......コロンコロン」
「コロンコロン」
「コロンコロンネンノン。」

といった具合に一振りでキリよく出せるという業も、なんだか、であろうよ。


タバコもこれと似たりであると思う。
一本差し上げたり、お火を拝借したり、灰皿をすすめたり。

タバコ(ア・シガレットね)本体が、コミュニケーションを媒介する時間がフリスクよりも長いために
様々な作法が様々なフェイズで存在することになっている。
”喫煙”という行為の集合が喫煙者達の配慮のもとになりたっているといってよいと思う。

それは、釣りバカ日誌のハマちゃんとスーさんのように地位も年代も
それは、かつての小室哲哉と篠原涼子のいとしさとせつなさと心強さも
それは、
されば、世界中の国境のあっちとこっちの宿命も

日記 - 魚をおろして思うこと

 恒例の診察もいつも通り何事もなく終わり、またいつもの通りに海岸沿いにある鮮魚センターへいった。
 いわゆる観光者向けのプチ市場の形式をとった”道の駅”(旧式に言うとこの”ドライブイン”)なのだが、地元民もわりと利用している、こういった態度の施設にしては稀な、成立しているとこなのである。母と一緒にいつも通り各店舗の品揃えを冷やかすことにした。平日のせいか、どこの店員も地元向けに ’まっとうな’商売を行っている様にみえた。
 『のどグロ、旬だから買っていこうか。ここら辺が名産なんだよ。』
 『のどグロ..........初めて聞くよ。金目とどこが違うの? のどでも黒いの? 黒くないよねぇ。』
 『....まぁ、旬だから5尾くらいでいいかね?』
 母はもう購入することを決めたらしい、20cmくらいのそののどグロたちの脇には50cmくらいの立派な鰹が並んでいたので僕はそっちに気を奪われていたのだが、もう母の中では決まっていたらしいので僕はうなずいた。
 『900円です。』
 『じゃあ、これ僕が出すね。』
 『おー、アリガトウ。じゃあ夜はのどグロの塩焼きね、お母さん今日は集まりがあるから、お前裁いて焼いてね。』
 『お、.......了解です。』


 料理は好きだ。
 月並みだが、特にみんなで食べるご飯は最高で、ましてや自分が作ったやつをおいしくいただいてくれるのは最高に幸せなのだ。

 子供のころから料理はやっていたので料理の手さばきは一流であるし、東京で若い頃は厳しい場所で接客業をしていたのでサーブも馬鹿にしたもんじゃないと思っている。両親や、兄弟も僕がつくる料理には信頼を置いていてくれるので僕は気持ちよく料理を行い、サーブすることができる。

 昼過ぎ、地元では有名なラーメン屋でいつも通りに昼ご飯をとって家に戻ってきた。
 今日はひとつ、上品に裁いてしまおうかしらと思った。といっても、まるまる一匹の魚をさばくということを行うのははじめてであって、『今日はひとつ』なんて軽いノリなんてあったもんじゃナイスガイな俺。
 昆布でも使ってはさんでやって、鯛のような品格のノドグロちゃんに仕上げちゃおうじゃないの。旨いが一番。うちの出刃包丁はちょっと振りが大きすぎるので、柳刃包丁を使ってさばくことにしてみて、さらに鱗取りには『鱗取り名人』なる名人を助っ人にしてみた。

 果たしてこいつはノドグロであった。

 ノドどころか、ハラもくろい。芸能人で言うならみのもんた、落語界でいうなら楽太郎なみの腹黒さと、音楽の殿堂で言うとこのジェームスブラウンか改名して今やなんやら訳の分からなくなった力也(a.k.a 安岡力也)ぐらいの喉の黒さだ。

 ♪ノドクロ〜あめ〜 
 
 なんて瀬川英子でございますに歌わせるよりもか、パワーメタルの雄、『パンテラ』の邦題、”鎌首”にそのテーマ曲がはいっていてもおかしくないくらいのハードな気持ちになってしまった。

 そんな気持ちになった後、結局僕は、5尾すべてをスマートに裁ききり、エレガントにコブ(昆布)で包み上げ、ナイーブな塩加減でこいつらを仕上げきった。

家族絶賛、魚さばきにはうるさい親父からも合格をいただきましたとさ。

あーもう、ハードにさせて。

日記 - 舎人

舎人公園へ。
舎人ライナーがほんのひと月ほど前に開通した。東京側の始発点、日暮里の街並みもこのタイミングにあわせて、変貌した。
かつては、駄菓子問屋が軒を連ねた一角は、白亜の城ならぬ、白壁とガラス窓のざっくりとした、若干手の余る現代的建築思想の塊に置換されている。
この土地は確かにターミナルとなった。此処から、成田へ。此処から東京副都心へ。
別に、そうなったからといって、僕に特別な思いはない。ただそのままを受け入れるし、実際は、受け流してもいる。

舎人公園まで、320円。高い。
一駅歩いて、西日暮里から、舎人公園まで、270円。ギリギリだ。
200円台の切符の値段を提示されると、僕は、反射的に20代前半過ごした、街のノスタルジーが繰り返される仕組みになっている。
横浜市戸塚区。僕は、そこに住み学校へ通い、毎晩、新宿へ通った。新宿までは確か、品川乗り換えで、640円の道程だった。
その頃は、suicaなんてものは無かったから、電車に乗るときは常に路線図を眺め切符を購入する必要があった。(実際、現在でも僕は切符を購入することがおおい。というのも、チャージ式のああいったカードは3ヶ月ほどで、使えなくなってしまうのだ。カードが改札の機械を認識しなくなってしまう。)
確かに毎晩、その頃は新宿にかよった。だいたい早めに学校を引き払い、戸塚駅から一つ乗った横浜でレコードをあさり、それから新宿三丁目へとむかった。
戸塚→横浜 210円。 ただそれだけの事実が僕をその時代へ走らせる。